Well

 私は若子さんの後に尾いて、停車場の内へ這入ろうとした時、其処に物思わしげな顔をしながら、きょろきょろ四辺を見廻して居た女の人を見ました。唯一目見たばかりですが、何だか可哀相で可哀相でならない気が為たのでした。
 そうねえ、年は、二十二三でもありましょうか。そぼうな扮装の、髪はぼうぼうと脂気の無い、その癖、眉の美しい、悧発そうな眼付の、何処にも憎い処の無い人でした。それに生れて辛っと五月ばかしの赤子さんを、懐裏に確と抱締めて御居でなのでした。此様女の人は、多勢の中ですもの、幾人もあったでしょうが、其赤さんを懐いて御居での方が、妙に私の心を動かしたのでした。
『美子さん、早く入ッしゃいよ。あら、はぐれるわ。』
 若子さんに呼ばれて、私ははッと思って、若子さんの方へ行こうとすると、二人の間を先刻の学生に隔てられて居るのでした。

 随分混んでるので、――夕方六時ごろかしら、――もう、うす暗いころ、熱海発の汽車で帰ることにして、いつもの様に早めに驛へ行つた。蜜柑やら、キビ餅やらのおみやげがあつて荷物は小さいのが大分あつた様に思ふ。番頭さんが驛まで荷物をもつて来てくれた。しばらくして、遠くの方にポツチリと赤く光がみえたと思つたら、その光がみる/\大きくなつてとんで来る。
「先の方がすいてゐます」といふ番頭さんの言葉と、「二等車は先の方です」といふ助役さんの言葉でホームも、ずつと出外れの方まで行つて待つた。
 誰はこれとこれ、と荷物の分担をきめて待ちかまへる中に、汽車が這入つて来た。先の二輛は二等車だ。先頭のにあかりが入つてゐないのを変だと思つたが、中を通つて次の車に行けるだらうと早呑込して、それ! とばかり六つになる洋ちやんと二人で、馳け出して、一番先の入口からのつた。番頭さんが荷物を入れてくれる。お母様やおばあ様や節ちやんは如何したかと思つたら、次の車にお乗りになつたやうだ。それで次の車に行かうとドアをあけようとしたら、これは又何としたことぞ、ドアがあかない。
「番頭さん! ドアがあかない!」と助けを求めたが、時すでにおそし、汽車は動き出してしまつた。「こゝへ荷物をおきますよツ」と叫ぶ番頭さんの声を残して……。

 それからそれへと考へ始めると、私はもうたまらなくなつた。無性に帰りたくなつた。
 私はほんとにたまらなく淋しく、不覚にも涙さへ出てくるのだつた。とび出しても帰りたかつた。
 その中にお夕飯が始まつた。御馳走もちつとも美味しいとは思はなかつた。皆さんはほんたうに朗らかで、いろ/\と私のことも気をつかつて下さり、客としてこんな居心地のいゝおもてなしは中々ないほどの厚遇をうけながら、やつぱり私はほんたうに皆さんと一つになり切らなかつた。叔父様叔母様の朗らかな、やさしいお態度、芳子ちやんや信ちやん方のしたしい、仲のよい御様子をみるにつけても、なにかこの場にそぐはない、自分だけ違ふ者の様な気がしてならなかつた。
 しかし、それも始めのうちだけで、段々皆さんの親切なおもてなしのうちに、知らずにつりこまれて笑ひもし、遊びもした。その中に阪神地方は二度目の風水害におそはれ、毎日毎日いやな雨がびしよ/\とふりつゞき、不気味な風が吹きあれた。お家はすごい高台だから水の心配はなし、昼間は遊びにとりまぎれて、さほど淋しいとも思はなかつたが、夜になると必ずあばれ出す雷には閉口した。